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2009年1月19日 (月)

投げ続ける事が恩返し、山本昌200勝達成祝賀会。

昨年8月に史上最年長でプロ通算200勝に到達した
山本昌の快挙を祝う『200勝達成祝賀会』
この日、名古屋市内のホテルで開かれ、
各界の著名人やプロ野球関係者約1300人が集まったもよう。
その人柄が物語るたくさんの人たちに祝福された
43歳左腕は、締めくくりのあいさつで
「この恩返しは、野球を長く続けることで」と決意を。
数々の来賓の祝辞とともに、この日の話題を紹介します。

ドラゴンズトピックス(18日)

◇山本昌
<名古屋市内のホテルで行われた『200勝達成祝賀会』に出席。
会場を埋め尽くした約1300人から祝福される。
後回しにした自らのあいさつで、来場者に決意を語る。
涙はなく、時折笑顔を浮かべながら>
「調子のいいシーズンも、悪いシーズンも
いろいろな方にお世話になりました。
私は幸せです。来年44歳になりますが、
きょうみなさんにお祝いしていただいた
恩返しは、野球を長く続けること。
この感激をいつまでも感じながら
最後本当にボールが投げられなくなるまで
野球が出来たらいいなと思います。
最後の矢がなくなるまで頑張っていきたい」

<アイク生原ドジャース会長補佐、高木時夫スカウト。
天国から見守ってくれている
2人の恩人の大きな写真を両脇に飾ったステージ。
会の最初に2人への黙とうを選んだのもらしい選択。
球界の大先輩の祝辞には時折涙を浮かべ、
昭和40年会の仲間の発言には顔を真っ赤にして>
「歴代監督やスタッフの方々、
素晴らしいチームメートに恵まれて、
ここ(壇上)で話ができるところまでになった。

昭和58年に高木(時夫スカウト)さんに誘われて
プロ野球選手になり、当時は1軍に上がることが夢でした。
4年目のアメリカ留学で基礎をつくり、
それから徐々に一人前になってきた。
多くの人に助けられ、長く野球をやってこられた。
幸いにも、今年は44歳になるが
選手を続けさせてもらえることになりました。

40年会の仲間にはぼくよりずっと能力があって、
早くから活躍した選手がいっぱいいた。
でもけがをして志なかばで引退しなければならなかった。
そんなみんなが言うんですよ。
『おまえはできる限り長くやってくれ』って」

<この日は選手会合同自主トレが休日だったが、
午前中に、ナゴヤ球場へ足を運んで練習。
主賓であるにも関わらず、ランニング、キャッチボールで汗を流す>
「主賓なんて、やることないもん。
家にいてもダラダラするだけだからね。
部屋でジッとしているより、こうして練習している方が気楽だし。
工藤さん(横浜)も同じことを言うけど、
この年齢になったら、動きだしたら休めない」
山本昌公式HP・路傍の一球「第160話ハマっちゃいそう!?」、
中スポスポーツ報知共同通信社スポニチ名古屋ニッカンデイリー


◆ピーター・オマリー (ドジャース元会長)
<山本昌の大恩人、故・アイク生原氏を
ドジャースのフロント幹部会長補佐(国際担当)に抜てき。
この日、遠くロサンゼルスから太平洋を越え、祝賀会に駆けつける。
来賓として中日の白井オーナーに続き2番目に壇上に上がり、
生原氏に代わって山本昌の200勝の偉業を祝福>
「アイクはマサを喜んでサポートしていた。一生懸命励ましていたよ。
アイクも喜んで天国からこの会を見ているはず」
中スポスポニチ名古屋

◆生原貴美子さん(故・アイク生原氏の夫人)
<恩師の夫人が登壇、山本昌と有美子夫人が花束を贈る。
今月初めにロサンゼルスで山本昌と一緒にアイク氏の墓参りを>
「感謝というものがどれだけ大切かをあらためて感じさせていただいた」
(中スポ)

◆高木美津子さん(故・高木時夫スカウトの夫人)
<担当スカウトの妻として、名古屋での母親代わり。
同じくステージに上がり、あいさつ>
「主人も千の風になってどこで見ていると思います」
(中スポ)

◆吉原武士さん
<祝賀会には日大藤沢高や中学時代の同級生約30人も出席。
高校時代にバッテリーを組んでいたが、旧友の偉業を祝福>
「高校時代から真っすぐは遅かった。
200勝できるとは思っていなかった」
(中スポ)

◆井上一之さん
<中学時代の野球部主将。山本昌にエールを送り>
「性格がとてもいい。それで200勝を達成できたのだと思う。
一日でも長く投げて、同級生に勇気を与えてほしい」
(中スポ)

◇山本有美子さん(山本昌夫人)
<夫人もマイクの前に立ち、ほおを紅潮させて>
「まさか200勝できるとは思っていなかったので夢のようです」
(中スポ)


◆杉下茂 (元中日監督)
<祝賀会の冒頭、中日球団最211勝を誇るOBから
『300勝&50歳現役』のW指令を受ける>
「私の球団記録を抜いて中日の看板になってくれ。
やっと(名球会の)後輩ができた。立派です。
この体なら50歳まで楽にいける。
250勝、300勝を目指して頑張って欲しい」
おおさか報知ニッカン

◆渡辺久信(埼玉西武監督)
<ライバルとしてしのぎを削った『プロ野球昭和40年会』の一員。
山本昌の祝賀会に駆けつけて、あいさつ>
「今年は中日と日本シリーズで対戦したい。
そのときにはマサに先発としてマウンドに立っていてほしい」
(中スポ)

◆星野伸之(阪神コーチ)
<同じく『プロ野球昭和40年会』の一員>
「昔はボクの方が40歳までやると言っていたのに」
(中スポ)

◆武田一浩 (野球解説者)
<『プロ野球昭和40年会』の一員。中日で同僚だった>
「マサは僕らの誇りです」
(中スポ)


◇立浪和義
<投打の両輪として山本昌とともにチームを支えてきたが、
200勝という数字の偉大さをこう表現>
「野手で言えば2500安打くらいの価値がある。
ボクはまだ2500本打っていないから名球会ではありません」
(中スポ)

◇白井オーナー
<来場者を前に、山本昌の快挙をたたえて>
「山本昌は野心だけでなくて、
その都度、感謝の気持ちを重ねてここまできた。
こんなに集まったのはその人柄があってこそ。
いっそナゴヤドームで祝賀会をすればよかったか」

<10年以上更新を続ける山本昌のHPで、
鳥取のワールドウィングでの始動を
報告していたことに触れ、さらなる活躍を期待>
「200勝は通過点、もっとがんばってもらいたい」
(中スポ)

◆金田正一 (名球会会長)
<1300人で埋め尽くされた会場に金やん節が炸裂。
名古屋弁で第一声を発し、大爆笑を誘う>
「おそぎゃあでかんわ(怖い)」

<400勝投手は、山本昌にこう問いかけ
『金田さんの34がつけたかった』と言わせる>
「感動したのは34という背番号。
金田の34番をつけたかったわけではないんだよね」

<名球会の投手で背番号『34』だったのは、
自分と山本昌の2人だけ。立派な後輩の誕生に笑顔>
「こんなうれしい気持ちは初めて」

<絶叫で再び会場を沸かせて>
「200勝は通過点。まだまだできる。400勝、どうだ?」
(中スポ、共同通信社スポニチ名古屋

◆星野仙一 (阪神オーナー付シニアディレクター)
<監督だった88年に山本昌を米国留学に派遣して開花させ、
挙げた数多くの白星をベンチで見守っていたかつての指揮官。
祝賀会に駆けつけ、壇上では遠い昔を思い浮かべる。
マイクを握ると、山本昌との出会いから振り返って>
「こんなに良いピッチャーになるとは思わなかった。
期待していなかったんだから」

<監督に就任した86年秋、
山本昌がブルペンで投げるタマを見てがくぜんとしたという>
「いつまでたっても速いボールを投げない。
『これが全力です』という言葉にショックを受けた」

<88年春のベロビーチキャンプで『運命』の決断。
ドジャースに頼み込み、キャンプ後もアメリカで武者修行させた>
「この手足の長い男をどうやって教えていいのか。
アメリカしかないと思った。
本当は見捨てたんです。残されたマサは大泣きしていましたよ」

<シーズンが始まり、アメリカから山本昌の活躍ぶりを知らせる
FAXが届くようになっても、半信半疑。
夏に大リーグ・ホワイトソックスからオファーが届くと、
『行かせましょう』と球団に進言したという>
「ウソだと思った」

<結局、山本昌はチームに呼び戻されたが>
「あのとき本当に行かせていたら、
野茂(英雄)より先にメジャーで活躍していたよ」

<日本へ帰ってきた山本昌は別人。1カ月余りの間に5勝を稼いだ>
「帰ってきてからは、『ウソだろ』と思うほどのボールを投げていた。
88年の優勝は彼によって決定付けられたんです」

<2度にわたって中日の監督を務めたが、
山本昌を計11年間ローテーションの中心として起用し続けた>
「マサはピッチングセンスはなかったけれど、
努力と体を鍛えるセンスはあった。
マサは努力の人。いつも体を鍛えている。
そういうセンスがあって、今があるんだと思います」

<通算200勝達成直後に携帯電話に
連絡があったことを明かし、熱いエールを送る>
「電話の向こうで涙を流した。
これからも中日、球界を背負って活躍してほしい」
中スポおおさか報知共同通信社スポニチ名古屋デイリー

◆山本昌『200勝達成祝賀会』主な出席者(中スポ他)
星野仙一(阪神オーナー付SD)、杉下茂(元中日監督)、
田淵幸一(元福岡ダイエー監督)、金田正一(名球会会長)、
ピーター・オマリー(元ドジャース会長)、
古田敦也(前東京ヤクルト監督)、渡辺久信(埼玉西武監督)、
星野伸之(阪神コーチ)、水野雄仁(元巨人)、平塚克洋(元阪神)、
山﨑武司(東北楽天)、矢野輝弘(阪神)、中村紀洋(東北楽天)、
板東英二(元中日)、武田一浩(元中日)、与田剛(元中日)、
福留孝介(カブス)、川上憲伸(ブレーブス)、
武豊(JRA騎手)、石橋守(JRA騎手)、藤田俊哉(Jリーグ前名古屋)、
棚橋弘至(新日本プロレス)、後藤洋央紀(新日本プロレス)、
中嶋悟(元F1レーサー)、高山樹里(ソフトボール)、
竹下景子(女優)、中条きよし(俳優)
(順不同、敬称略。中日球団に現在在籍するフロント、首脳陣、選手を除く)


◇浅尾拓也
<愛知県北名古屋市での
『第25回・北なごや新春チャレンジマラソン』に参加。
児童や女性ファンに交じって2.5キロをジョギング。
歓声の中、笑顔を振りまきながら市内を走り、
追い抜きざまに次々差し出される子どもたちの手に握手。
それでも最後は『マジ顔』でゴールに入って>
「子どもたちが速かったです。
少年時代の自分だったらあんなに走れなかっただろうな」

<15日から始まった選手会合同自主トレも、この日は休み。
イベント参加はトレーニングの一環として位置づけていたから>
「16、17日と(選手会自主トレで)4キロ、3キロを走ってますから、
今日は休みでもいい練習になりました」

<走るイベントはありがたかった。
今オフ、スタミナづくりを重視しているから>
「(今季の構想で)自分が先発なのか
中継ぎなのかは、まったく聞いていません。
中継ぎでも球数をたくさん投げられるようにしておきたい」

<1年通して1軍で活躍することを
今季、なにより大切だと思っている。
だから昨年より調整のペースを落としているという>
「1年前はもう遠投を始めていた。
それで(右肩を)痛めた。もう同じ失敗をしない」

<昨季の反省で今季はじっくりの調整を心がける。
キャンプインまでブルペン入りをできる限り自重する>
「びっくりするほど絶好調だったらわからないですが、
1月中は我慢してやめておこうかと思います。
周りを見ずに自分ができると思ったら入ります」
中スポ

◇北野2軍マネジャー
<沖縄での年に一度の勝負を楽しみにしている。
相手にするのは2軍のキャンプ地・読谷の中学生チーム。
引退してもう10年になるが、現在でも当時と同じ左のサイドハンドから
切れのある球を投げ、名古屋市内で早朝野球にも加わる『現役』は>
「(中学生相手に)手抜きはしない。
なかなか打てないけど、上のレベルを目指すなら
こういうボールを打てないとだめ、という意味を込めている」
(中スポ<ドラ番記者>

◇前田章宏
<年明けからオーストラリア・ゴールドコーストで
自主トレを行っていたが、17日に帰国。
一夜明けたこの日、ナゴヤ球場で早速練習を再開。
選手会合同自主トレが休日で静まりかえった屋内練習場で
2時間近くも黙々とバットを振り続ける>
「帰国したばかりですが体は大丈夫。
きょうは休日? 『自主』トレですからそれは関係ありません」

<11日間に及んだゴールドコーストでの練習で
朝倉、小笠原、山井、長峰、川岸(東北楽天)など
同行の投手陣を『独り占め』にして打撃練習を続けてきたという>
「毎日2~300球は打ちました。
この時期に投手の投げるタマを打てたことは大きい。
マシンとは違って、タイミングの取り方も実戦的になる」

<相手にしたのは主力クラスの投手ばかり。
まだ調整段階とはいえ、ボールの軌道やタイミングを
確認するだけでも収穫になる。
昨秋のドミニカ武者修行でも打撃のヒントを掴んだ。
加熱必至の捕手陣の生き残り競争を、自慢の強打で勝ち抜く決意>
「以前より打撃が飛躍的に良くなっているという感触はあります」
(中スポ)


この日のドラゴンズの話題は、ほぼこれ一色
昨年8月4日に42歳11カ月の史上最年長で、
史上24人目のプロ通算200勝を達成した山本昌
その偉業を祝う『200勝達成祝賀会』
この日名古屋市内のホテルで開かれました。

ピーター・オマリー元ドジャース会長をはじめ、
星野阪神SD、金田名球会会長、杉下茂氏、
古田敦也、渡辺久信ら昭和40年会のメンバーに加え、
各種スポーツ界、芸能界からも著名人が来場。
さらにアメリカ時代の恩師である故アイク生原氏
入団時の担当スカウト・高木時夫氏の親族や
高校、中学の同級生、そして地元の後援者、
もちろんドラゴンズからもフロントや、ナインなど
総勢約1300人が、200勝左腕の偉業を祝福。
来賓者から、数々の祝辞を受け、
時には目には光るものがあったという昌さんですが、
新たなエネルギーを得た43歳は、最後に決意を。
「恩返しは長く野球を続けること。
ボールが投げられなくなるまで、
最後の矢がなくなるまで頑張っていきたい」

生涯現役として、完全燃焼していくことを誓ったそうです。


200勝おめでとう!このオフ、たくさんのイベントが
あった昌さんですが、
今回の祝賀会は、
その最大級の規模でしょうね。
出席者の数、およそ1300人。
昌さんの類い希なる
人柄あってこその数ですが、
人との『出逢い』
積み重ねてきた200勝なだけに、
感謝の気持ちを表すには、やはりそれ相当の人数になるのでしょう。
それでもこれを終えたことで、昌さん自身
ようやく『200勝イヤー』を締めくくることができたのではと思いました。

今朝の東京中日の1面などで、
その祝賀会のフォトを見ましたが、
あのピーター・オマリー氏が来場していたのには、驚き。
「星野つながり」というのもあったでしょうが、
ドジャースとの交流があったからこその200勝でもありますし、
「アイクも喜んで天国からこの会を見ているはず」
祝福してくれたのは、昌さんにとってもうれしかったことでしょう。

多くの人々に祝福、激励を受け、
200勝達成に区切りを付けたであろう昌さんですが、
やはり気になってくるのは、これからのこと。
44歳となるプロ26年目の今シーズン。
どんな投球を魅せてくれるのかに注目したいですね。
このオフ、2年契約を結びましたが、
これにホッとしていては、07年の二の舞になってしまう。
もちろん昌さん自身もそれがわかっているからこそ、
多忙なオフの合間を縫って、鳥取を訪れるなど、
トレーニングをしていると思われますし、
そういう心配は、皆無だろうと考えたいものですね。
エースだった川上が抜ける今季のドラゴンズの先発陣
しかしこの昌さんが矢面ばかりに立つのではなく、
できればローテの4、5番手ぐらいで投げさせるのが、
昌さん本人にとっても、チームにとってもベストなこと。
それでもなんだかんだ言っても、
結局は頼りにしてしまいそうな気がしますが…。

まずは今季も先発ローテをしっかり守り、
7勝で追いつく球団最多勝211勝に到達してほしい。
そしてさらに2年後も現役を続け、他の昌ファン同様に
「長く投げ続けてほしい」と願いたいなと。
それが結果として、48歳10カ月という
史上最年長勝利の更新となれば、より最高といえるでしょう。
まだまだ『夢の途中』であるという昌さん
これからもベテランならではの味のある投球で魅了してほしい。
そして努力と体を鍛えるセンスを存分に発揮し、
『最後の矢』が尽きるまで、投げ続けてほしいと期待します。




コメント

「北なごや新春チャレンジマラソン」
すみません
拙ブログにも書きましたが
寝坊のため行けませんでした
浅尾投手の力走ぶりが見たかったです

昌投手、感激の盛大な祝賀会でしたね。
また今後へ向けて、決意を新たにしたでしょう。
他の先発陣がどれくらい活躍できるか
今のところまだ分かりませんし、やはり
昌投手に頼る部分が大きくなるのではないかと……。

浅尾投手の記事は、宅配のトーチュウだけでなく
ニッカンにも大きく載っていました。
えっ!? 関東のニッカンがこんなに大きく
ドラゴンズの記事を!?……と驚きましたが、
写真が予想外に大きかったのも、
爽やかな浅尾投手だからこそでしょうか??(笑)

昌さんは大ベテランですが今年の開幕投手候補に上がるなど実力は衰えませんからね。
この姿に他の投手も奮起してほしいですね。

この記事へのコメントは終了しました。

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