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2009年10月 1日 (木)

打って走って守って、立浪和義有終の猛打賞。

ドラゴンズのレギュラーシーズン・ナゴヤドームでの最終戦は、
今季限りでの現役引退を表明した立浪和義の「引退試合」に。
腰の痛みを考慮され、初となる『6番・一塁』で先発出場した背番号3。
試合は敗れたものの、ファンの大声援を背に
打って守って走っての大奮闘。9回の適時二塁打を含む
4打数3安打の猛打賞で、歴代7位の2480安打をマーク。
試合終了後の引退セレモニーであいさつした後、グラウンドを一周。
そしてナインに胴上げされたミスタードラゴンズ。
22年間のプロ野球生活に一区切りを付けることとなりました。

◇セントラル・リーグ公式戦
中日-巨人 最終戦
(30日・ナゴヤドーム | 中日8勝16敗)
38280人 1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
巨 人
中 日
[敗] 川井(20試合11勝5敗)
[D本] なし
[Dバッテリー]
川井、伊藤準規、パヤノ、小林正人、河原、高橋 - 谷繁

◇対巨人最終戦・スタメン
1 (遊)井端  (3打数1安打)
2 (中)野本  (3打数無安打)
3 (三)森野  (4打数1安打)
4 (右)ブランコ (4打数無安打1打点)
5 (左)和田  (2打数無安打)
6 (一)立浪  (4打数3安打1打点)
7 (捕)谷繁  (4打数無安打)
8 (二)岩﨑達郎 (4打数無安打)
9 (投)川井  (0打数無安打)

【イニング経過】
<1回・巨人> P・川井(中27日)
坂本中スライダー三ゴロ、松本中カーブ一二塁間抜くヒット、
小笠原外スライダー中飛・野本スライディング好捕、
2死一塁から、ラミレス外チェンジアップ・
伸びて右翼席飛ぶ込む2ラン(D 0-2 G)
亀井外スライダーワンバウンド四球、谷内低め直球中返し安打、
2死一、三塁から、阿部外スライダーボール球空三振

<1回ウラ・中日> P・オビスポ
井端中高め直球見て四球、野本引っ張り一ゴロ3-6二封、
森野中スライダーセンター左落とすヒット・好走塁躊躇なく二塁へ、
1死二、三塁から、ブランコ外低めスライダー一ゴロの間(D 1-2 G)
2死三塁から、和田中直球詰まり二飛

<2回・巨人> P・川井
古城中直球遊ゴロ、オビスポ内直球詰まり二飛、
坂本外チェンジアップ左前打、
松本外高め直球三塁横抜くヒット、
2死一、二塁から、小笠原内低めチェンジアップ・
詰まりながら左前落ちる適時打(D 1-3 G)
2死一、二塁から、ラミレス内直球詰まり左中間落ちる適時打(D 1-4 G)

<2回ウラ・中日> P・オビスポ
立浪カウント1-2外直球・一、二塁間抜くヒット、
谷繁外スライダー遊ゴロ6-4-3併殺、岩﨑達郎内直球遊直

<3回・巨人> P・伊藤準規(プロ初登板)
谷中低め沈むカーブ空三振、阿部外高めフォーク一ゴロ、
古城内直球左ヒジ死球、オビスポ外直球145キロ右飛

<4回・巨人> P・パヤノ
坂本外チェンジアップ空三振、松本内高め直球左前打、
小笠原初球内高め遊飛、
ラミレス初球内高め直球詰まりながら中前打・代走鈴木、
2死一、三塁から、亀井中低め直球右正面飛もブランコ落球・
タイムリーエラー二者生還・気の毒(D 1-6 G)

<4回ウラ・中日> P・オビスポ
ブランコ外直球中飛、
和田高いバウンド三ゴロ・一塁上亀井と交錯左足痛める、
立浪カウント2-2外低め直球・
バット折りながらショートオーバー・センター左落とすヒット、

谷繁中高めスライダー空三振

<5回・巨人> P・パヤノ 右・平田 左・ブランコ
阿部初球外スライダー左越えフェンス直撃二塁打、
古城初球打ち上げ三飛、オビスポ外高め直球空三振、
坂本中低めチェンジアップ空三振

<5回ウラ・中日> P・オビスポ
岩﨑達郎外高めスライダー中飛、
パヤノ外直球ミートセンターオーバー二塁打、
井端内直球投ゴロ、野本外チェンジアップ遊ゴロ

<6回ウラ・中日> P・オビスポ
森野中高めチェンジアップ中飛、
ブランコ外スライダーハーフスイング三振、
平田外スライダー右前落とすヒット、
2死一塁から、立浪カウント1-1中スライダー二ゴロ

<8回・巨人> P・河原
坂本外スライダー打ち上げ一邪飛・谷繁猛烈に突っ込むも弾く・
トスしたような形で立浪が抱え込みキャッチ・珍プレー

<8回ウラ・中日> P・オビスポ
井端外直球見三振、野本外高め直球見て四球、
森野中直球打ち上げ左飛、
ブランコ外低めスライダー空三振・オビスポガッツポーズ

<9回ウラ・中日> P・越智
平田外スライダー選び四球、
無死一塁から、立浪カウント0-1中低め直球・
振り抜き強い打球右中間突破適時二塁打(D 2-6 G)
(プロ通算2480安打、487二塁打)

無死二塁から、谷繁外高め直球空三振、
1死二塁から、岩﨑達郎中高め直球空三振、
2死二塁から、代打柳田外高め直球空三振、試合終了。
立浪ベンチへ下がる際、マウンド上の巨人ナインがあいさつ・
小笠原、阿部ベンチから出てきて握手・原監督とも抱擁。


【ゲームレビュー】
立浪、最後は適時二塁打

4回までに奪われた6点が響き、
本拠地最終戦を勝利で飾ることができなかった。
9回無死一塁から立浪が右中間への適時二塁打で
追い上げたが、先発・川井は打ち込まれたのが誤算だった。
公式サイト共同通信社ニッカン式スコア


「今まで22年間、
本当にプレッシャーの中で戦ってきましたから、
きょう一日は本当に野球を初めて楽しく、
楽しくっていう言葉は今まで使ったことが
ないんですけど、やりたいなと思います」


試合前に正式に今季限りの引退を表明。
先週末にやってしまったという腰の痛みを考慮され、
何とプロ入り初という一塁でのスタメン出場となった
ミスタードラゴンズ・立浪和義。
まさしく「引退試合」という装いになった巨人との最終戦ですが、
ゲームを見る限りでは、その言葉通りに
楽しく野球ができたように感じましたね。
約2年ぶりに守備に就き、一塁に走者が来た際には
敵味方関係なく、笑顔で声をかける。
また打っては第2打席、オビスポの低め直球に
バットを折られながら、センターに運んだ際には
苦笑いしながら、折れたバットを投げ捨てた姿。
さらに8回の一塁ファウルゾーンに上がったフライ。
本来なら一塁手が捕って当たり前の飛球にも関わらず、
捕手の谷繁が気を使って猛チャージ。
結果追いついたものの、谷繁が弾いたボールを
慌てて抱え込むように掴んで、ともに笑顔。
ゲームが序盤に決まってしまったこともあり、
終始その一挙手一投足にファンの目が集中することとなりましたが、
「野球」というものに楽しく取り組む姿が、実に印象的に見えました。

しかし5点ビハインドで迎えた9回ウラの第4打席、
先頭の平田が四球を選び、無死一塁で迎える場面。
おそらく地元公式戦では「最後」となる大事な打席。
この場面においては、いつもの勝負師の表情に戻っていたかも。
初球ボールのあと、越智が投じた真ん中低めストレート。
しっかりタイミングを合わせ、思い切り振り抜くと、
強い打球は右中間を大きく破る見事なタイムリーに。
しかもそれは通算487本目となるツーベースに。
通算最多二塁打を誇る男が最後に放ったのは、
やはり代名詞ともいえるツーベースだった。
その辺の運の強さも、やはり一流打者の証明もいうもの。
そのまま後続が倒れ、「引退試合」は幕を閉じたものの、
ベンチに戻る際には、原監督をはじめとした
巨人ナインにも労をねぎらわれたドラゴンズの背番号3。
まさに球界を背負ってきた一面も伺えるシーンとなりました。


引退表明の記者会見で、自分の理想は
「打って、走って、守ること」と話していた立浪。
そのなかで走ることと守ることができなくなり、
最後の決断を下したそうですが、
久々に一プレーヤーに戻って、しっかり打つことはもちろん、
走って守ることができたのは、本人にとって
とてもうれしかったことでしょう。
高卒1年目の開幕戦からスタメン出場するなど、
まさにエリート中のエリートの道を歩みながらも、
プレッシャーやケガと戦い、さらに晩年はレギュラーから外れ、
代打の切り札という新たな道を進むこととなった。
しかし野球に関しては、常に厳しく向き合い、
チームにおいても、球界においても大きな見本となった。
しかも体はそれほど大きくないながら、22年間、
2480本というヒットを重ねてきた姿は、本当に素晴らしきもの。
今季最多となったドームの温かい声援、
さらに家族、恩師、先輩、同期など、
たくさんの仲間に見守られながら、最後の勇姿を披露した背番号3。
改めて「立浪和義」という選手の偉大さと存在感。
そういうものを味わうことができた有意義なゲームだったと思います。

残念ながら、中継が途中で終わってしまい、
引退セレモニーなどは各種スポーツニュースなどで
所々を観るだけに止まってしまいましたが、
現地にいたファン同様に、自分としても
お疲れ様、そしてありがとうございました、と言いたいですね。
自分がドラゴンズを応援し始めて、20数年。
バッターボックスに、内野のフィールドには、
常にチームのために尽力する背番号3の姿があった。
まさに一時代が終わるという寂しさも去来するものの、
立浪選手本人が決めたことですし、もちろん尊重。
そしてファンとしても「感謝」の気持ちでいっぱいです。

この日で取りあえずは一区切り。
しかし2009年度のドラゴンズの野球はまだまだ続きますし、
最後までその力が必要としているのは、確か。
まずは腰の状態をできるだけよくしてもらい、
残されたゲームで力を発揮して、チームに貢献。
最後の晴れ姿を見せ、そしてバットを置いてもらいたいです。


それでは立浪選手のあいさつをはじめとした
さまざまなメッセージ、長々となりますがお付き合い下さい!


☆プレーヤーズ・ボイス(30日)

◇立浪和義
<試合後の引退セレモニーであいさつ。
チームメートや大勢のファンの温かい視線に見守られて>
「縁があって、中日ドラゴンズという
素晴らしい球団に入団することができ、22年が経ちました。
たくさんの方々に支えていただき、
たくさんのファンのみなさまに応援していただき、
ここまでやってくることができました。

プロ野球の世界に入る前は、
きょう自分の最後のユニホーム姿を見に来てくださった
清原さん、桑田さん、に憧れてプロ野球選手を目指しました。
プロ野球選手になる前は、この体で、
この世界でやっていけるのかなという不安ばかりでしたが、
プロに入ってからそして今まで
体が小さいと思ったことは一度もありません。
ただ、負けん気だけは持って、ここまでやってきました。

昨年引退を表明し、ここまで来ましたが、
なかなかみなさんの声援に応えるバッティングは
できなくなってきました。
自分の理想である野球は、打って、走って、守る。
自分には守ることと走ることが衰えてきたので、
ユニホームを脱ぐ決意をしました。

代打にまわってからの3年間半、
毎打席、温かい声援と激励をいただいたことは
しっかりとこの胸にしまいこみ、
またいつかみなさんに恩返しができるよう
これからの人生たくさんのことを学び、たくさんのことを勉強し、
一回りも二回りも大きくなって帰ってきたいと思います。

22年間、常にプレッシャーの中で戦ってきましたが、
きょう一日は楽しく野球をやらしてもらいました。
最高の花道を用意してくださった中日ドラゴンズ関係者のみなさん、
本当にありがとうございました。

そして最後に、代打として
最後の生きる道を与えてくださった落合監督、
そしてたくさんのサポートを頂いたコーチのみなさん、
そして最高のチームメートにも恵まれ、
最高のファンのみなさんにかこまれて、
幸せな野球人生が送ることができました。
この体もここまでよく持ってくれました。
ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
これで心置きなくバットを置くことができます。

全国のドラゴンズファンの皆さん、
そして私を応援してくださった野球ファンのみなさん、
22年間、本当にありがとうございました」

公式サイト


<この日、今季限りでの現役引退を正式に表明。
ナゴヤドームでの試合前、ユニホーム姿で
記者会見に臨み、引退を決めた心境を口に。
一問一答は次の通り。冒頭のあいさつで>
「本当にマスコミ関係、そしてメディア関係の方には
22年間、本当にお世話になりました。
あの、どっちかというと、あまり口数も
試合前とか特にしゃべるのを嫌がっていたような
ところもあったかもしれないんですけど、
まあそれだけ自分はもう本当にグラウンドに来たら
野球に集中して頑張りたかったので、ちょっとあのう
嫌な思いをした記者の方もいるかもしれないんですけど、
まあ22年間、きょうが終わりっていうことで、
まあ一つ謝らしてもらいたいと思います」

<正式に引退を発表というかたちで
この会見、よろしいのでしょうか>
「はい」

<『ラストゲーム』を迎える心境は>
「いや、9月30日がナゴヤドームの最後っていうことで、
何とかその試合に出たいなと思ってはいたんですけど、
先週の土曜日にちょっと腰を痛めたりして、
微妙な感じだったんですけど、まあ何とか監督にお願いして、
きょう、まだわからないですけど、
ちょっと考えてもらっているっていう段階なんですけど、
まあ昨年のオフに引退を発表して、
とにかく今年1年頑張ろうと思って、
それが結果が良かろうが悪かろうが、
もうそれは変わることはなかったので。
とにかく今年結果を出して、昨年全然活躍っていうか、
貢献できなかった分、いつもたくさんのファンの方に
応援していただいているので、何とかちょっとでも
期待に応えたいという一心で1年間頑張ってきました」

<引退を決意した時期、大きな理由は>
「そうですね、あのうやっぱり
長くレギュラーで出してもらってきて、、
自分のその理想っていうのは、野球っていうのは、
打って、守って、走る。
今の自分は本当に打つことだけで、
もちろんそれでも本当にあのう、こういう緊迫した場面で
ずっと使ってもらってありがたいんですけど、
やっぱり守ることと走ることが衰えてきたから、
まあそれを、自分でまあ認めて、そろそろ潮時じゃないかという。
あとやはり昨年代打で本当に結果を出せないときに、
やっぱりあれだけ応援してもらう、っているだけに
非常に精神的にもきつかった部分もありますし、
ただいつも前向きには頑張ってはきたんですけど、
もうそろそろかなという感じはありました」

<その決断を最終的にされたのはいつごろ?>
「いやいつ頃っていう、あのう、はっきりはないんですけども、
決断をしたのは、昨年の契約更改のときに、
球団の方にはそういう形ではっきりと、
『来年一年でユニホームを脱ぎます』ということは伝えました。
まあその時の会見ではあまりはっきり言わないでくれっていうことで
まあ濁して『最後のつもり』っでいう風には言ったんですけど、
まあその時に決めたっていう感じですね。はい」

<まあ今季も実際代打で3割のアベレージを残している状況で
引退となるが、やり残した事というか葛藤みたいなものはないのか>
「いえ、あのう、今年まあそこそこは成績は出してたかもしれませんけど、
自分の中で(シーズン)はじめ打点がなかなか挙げれずにね、
そんな打ってるっていう感覚もなかったですし、
まあそれは昨年に比べたら良かったかもしれないんですけど、
まあそういう葛藤とかは全然ありません。
とにかく今、まずきょうの30日、
たくさんの方々が楽しみにしてくれてると思うんで、
万全な、そのプレーは見せれないかもしれないですけど、
今の現状でとにかく今まで22年間、あのう、
本当にプレッシャーの中で戦ってきましたから、
きょう一日は本当に、野球を初めて楽しくね、
楽しくっていう言葉は、今まで使ったことないんですけど、
やりたいなと思っています」

<22年という期間を振り返って、どんな思いがあるか>
「そうですね。あのう、本当であれば、
きょうで終わりって形になるんですけど、
まだクライマックスシリーズがありますし、ホッともできないんでね。
なかなか振り返れって言われても難しいんですけど、
あのう、本当に振り返って見れば、
よくこの体でここまでもってくれました、本当に。
はい、もうそれに尽きます」

<常に第一線で活躍してきたが、支えてきたものは何か>
「いや、それはもちろん、たくさんの方々に
本当に支えていただきましたし、指導者にも恵まれ、
そして自分があのう、気持ちが腐りそうになった時に、
あれだけの声援をいただいて、
また頑張る気にもさせてもらいましたし、
自分ひとりでは、本当に力のある選手ではないんで、
やってこられなかったと思うし、
ただあのう、一つ言うならば、
常に負けん気だけは持って、ここまでやってきました」

<感謝の気持ちを一番伝えたい人は>
「一番感謝…、難しいですね。
あのう、それはもうやっぱり家族でありね、
一番近くにいてくれた人が、
一番自分がしんどかったときとかいろいろ知ってますから。
たくさん迷惑もかけてますしね、僕の場合。
やっぱり家族にきょうちょっとでも格好いいところを
見せれればいいなと思っています」

<引退の意志を家族に伝えたときは>
「本当は家でね、昨年(状態が)悪かったときに、
『もう今年ダメだぞ』っていう話はしたことがあるんですけど、
『何を言ってるの、頑張らないと』みたいなこと、簡単にね、
あまりそれほどこう、干渉してないっていうか…、
っていうところはあるんですけど、
まあそれが逆にね、気分的に楽に一番なれますよね。
一緒になって深刻な顔してると、どんどんどんどんね、
いい感じにいかないと思うんでね。
『じゃあもう1回来年何とか1年頑張ってみるわ』って言うことで、
『その代わりもう来年でやめるぞ』っていうことははっきり言いましたね」

<4度の優勝も経験。振り返って一番思い出されるシーンは>
「それぞれ4回の優勝、貢献できたときもあれば、
あまり成績も良くなかったとか、いろいろありますけど、
それぞれルーキーの年であり、
次ルーキーの年に入って2回目の優勝っていうのは、
もっと間隔が開かずにね、できると思っていたのが、
10年後の優勝であって、まあ自分自身はそんなに
貢献できなかったんですけど、やっぱりその時の喜びもうれしかったし。
で、落合さんに(監督が)代わった2007年ですか。
2004年ですね、その時はもう本当に
主軸としての優勝を味わせてもらったのもうれしかったし、
優勝したときでも4回っていうのは、それぞれあのう、
いろんな意味では違うんですけど、うれしさはあります。
最後のその、2007年の日本一ですか。
自分は本当に代打のみの出場だったんですけど、
非常に充実した、そりゃレギュラーで出れれば
一番うれしいんでしょうけど、また違った喜びがありました」

<個人の記録では2000本安打も達成したし、
二塁打の記録も歴代1位。あえてこの一打、この一本、
このプレーを挙げると、どのシーンになるか>
「いっぱいありすぎて、よく分かんないんですけど、
2年目にケガをして、3年目のその開幕戦で、
先頭バッターホームランを打ったことがあるんですけど、
で2年目、その1年目っていうのはプロに入って右も左もわからず、
ただがむしゃらに野球をやってたんですけど、
やっぱり当たり前にいきなり1軍にいたので、
2軍のその大変さとか、自分がこんなにいいところで
プレーをさせてもらったっていうことに気付かなかったんで、
それを2年目に感じて、もう1回この1軍に戻りたいということで
一生懸命リハビリして、練習して、で迎えた3年目の開幕戦で
先頭バッターでホームランを打ったときには
塁を回るときにこう、涙ぐむようなちょっと、まあ今でも覚えていますね」

<これで一旦区切りを付けるが、
ドラゴンズのチームメートに伝えたいことは>
「そうですね。あのう、本当にドラゴンズのチームっていうのは、
あのう非常に明るくて、素直な選手が多いですしね。
まあ自分が野手では一番上なんですけど、
自分は自分なりにね、いろいろ気を遣いながら
まとめてきたつもりですけど、これからね、
自分たちがいなくなって、井端であり、荒木でありがね、
どんどんどんどん遠慮せずに
チームを引っ張っていってもらいたいなっていうのはあります。
で、コーチ兼任をさせてもらって、
若い選手と接する機会が増えたんですけど、
やはりあのう、自分たちの時代とやっぱり違うしね、
なかなかモノの考え方が違う、甘いところもありますけど、
いろんなことが、あのう、技術的なところ以外にもね、
野球に取り組む姿勢っていうのを、常に大事に言ってきたので、
そういうことをこれからも守って、1人でも2人でもね、
レギュラーとして出てくれるのを楽しみに、
これから外から野球を見ることになると思いますけど、
そういう思いもあります」

<今後については>
「今は何も決まっていません。はい」

<もちろん将来もずっと野球界でという考えは>
「そうですね。あのう、また…、これはもう
自分で決める問題ではないので、いろんなことを勉強して、
自分はドラゴンズに22年間もいて、
どうしてもやっぱり視野が狭くなっている部分もあると思うんで、
いろんなところを回って、いろんなものを吸収して、
どんどんどんどん視野を広げて、
たくさんのことを学んでいきたいと思っています」

<ファンへのメッセージを>
「あのう、本当に22年間ご声援ありがとうございました。
自分が代打となって、約3年間半ですか、
本当に毎打席温かい声援をいただいて、
そのたびに本当に、ね、涙が出そうになったことが
たくさんあったんですけど、
なかなか期待に応えられない時もたくさんありましたけど、
自分のあのう、もうダメだっていう気持ちを
もう1回頑張らせてくれたのが、みなさんでありますし、
とにかくあのう、本当にドラゴンズに入って
最高のファンの方たちに恵まれてね、
野球を22年間ドラゴンズ一筋でやらしてもらったっていうことが
何よりも自分の財産なんで、
またこれからも何らかの形で貢献できるように、
これからしっかり勉強して、頑張っていきます。
どうも本当にありがとうございました」
(中スポ、サンスポ共同通信社時事通信123


<2年ぶりのスタメンは『6番・一塁』。
地鳴りのような大歓声と無数のフラッシュに見事に応えていく。
2回先頭が右前打、4回2死からは中前打。
そして9回無死一塁では越智の直球を右中間に運んだ。
3安打目は何とタイムリー二塁打だ。
猛打賞は5打数5安打を記録した06年6月30日広島戦以来、3年ぶり。
試合を二塁塁上で終えると、ハイタッチする巨人の選手たちと
握手であいさつ。原監督とは抱擁して笑顔で主役を務めた。
じつは「引退試合」への出場すら危ぶまれていた。
26日の練習中に持病の腰痛が悪化。
直後は歩くことすらままならない痛みだった。
前夜も、この日も何本もの痛み止めを注射。
この日も午前10時に自宅を出発して向かった先は
ナゴヤドームではなく名古屋市内の病院だった>
「最後の最後まで(ケガに)苦しめられた。
自分の行いが悪かったのかとさえ思った。
ヒットを打てるかどうか分からない。迷惑をかけるかもしれないけど」

<打撃練習は5日ぶり。試合前に正式な引退会見に臨んだが、
出場については『何とか出たい』と答えるだけだった。
だからこそ落合監督の配慮でプロ入り初の一塁を守ったが、
こんなエンディングは誰も予想できなかった>
「(9回は)最後の打席だと思ったんで、
思い切っていったらたまたまツーベースになって。
(歴代トップの)ツーベースには縁があったんだなって思いました。
きょうはこのような起用をしてくださった監督に感謝しています」

<ドラゴンズの象徴であるが、王様だったわけじゃない。
先輩、後輩に気配りができる。今年3月もそうだった。
オープン戦前、レギュラー目前だった藤井にこう話した。
これが立浪流の『外出禁止令』。
スタッフへの気配りも人一倍だった。
9月最後の広島遠征、初戦の夜は打撃投手たちを、
2戦目の夜はトレーナー陣を食事に招待した。だから人はついてきた>
「いまは大事な時期だから外に行くな。
その代わり、オレが飯に誘ってやる」

<今シーズン序盤、ナゴヤドームのロッカーに一枚の紙を張り出した。
『始動を早く』『体を開くな』。
後輩のために書いた打撃のアドバイスは40項目にも及んだ。
その思いは着実に受け継がれていくはず>
「若い選手に少しでもうまくなってほしいと思ってやってきた」

<代打で3割を超える打率は驚異で、
周囲からは何度も引退撤回を説得された。だが、悔いはない。
クライマックスシリーズ、そして日本シリーズ。
22年に及んだプロ人生の最終章を、日本一で飾るつもり。
小さな体にムチ打つのもあと少し。
最後の『氣』を振り絞り、完全燃焼する>
「この体でよくここまでもったと思う。自分ではいっぱい、いっぱい。
きょうが終わったら、CSモードに切り替える。最後までやるのがことしの目標」
中スポ引退独占手記・『立浪和義 感謝』、
中スポ中日新聞サンスポスポーツ報知時事通信
朝日新聞スポニチ名古屋ニッカン12デイリー


【竜戦士・立浪に贈る言葉】

◇山本昌

「ぼくのバックで一番多くアウトを取って、
一番たくさんヒットを打ってくれた選手。
感謝という言葉以外に思い当たりません」
(中スポ)

◇朝倉健太
「ボクが困っているときにアドバイスをくれるんです。
投手と野手ですから、普段は教えてもらうとか、
そういうことはないんですけど…。
ロッカーとかで、こうしたらいいんじゃないか、ということを教えてもらいました」
(中スポ、<ドラ番記者>

◇吉見一起
「雲の上の人でした。ほめられると自信になりましたし、
ダメだった試合後とか、いろいろアドバイスをいただきました。
僕が一緒なのは4年間でしたけど、勉強になりました」
(中スポ)

◇浅尾拓也
「いいことはいい、ダメなことはダメとはっきりしていて、
野球選手としてだけではなく
人間的にも格好いい先輩だと思っています」
(中スポ)

◇チェン・ウェイン
「1軍で一緒にやれたのは2年間だけですけど、
いろんな勉強をさせてもらいました。
打者への対し方、左投手対左打者の一番大事なところなど、
教えてもらいました。とてもありがたかったです」
(中スポ)

◇小笠原孝
「1軍に上がったときに一度、どうしてそんなに長く
やれるんですか、と聞いたことがあるんです。
体に気を使うこと、あとは気持ち、と教えてもらいました。
ボクは体形がちょうど同じ。
服もいっぱいもらったんですけど、
ボクの体形のことを気にかけてくれるんです。
最近ちょっと太りすぎじゃないか、とか。
大きな選手と気持ちが同じでは勝てません。
本当にいろいろ教わりました」
(中スポ、<ドラ番記者>

◇岩瀬仁紀
「僕らにとっては特別な存在でしたから
(引退は)今でも信じられません。
野球に対する姿勢とか勉強させてもらった。
立浪さんに教えていただいた1打席の大切さは、
投手にとっては打者1人の大切さ。
今度は僕らが下(後輩)に伝えていかなければと思います」
(中スポ、時事通信


◇井端弘和
「グラウンド内外にわたり、一番近くで接してきたと思っています。
そういう意味でもとても寂しくなります。
本当にやめるのが今でも信じられない。
寂しい気持ちでいっぱい。長い間お疲れさまでした」
(中スポ、時事通信

◇谷繁元信
「あんなコースも打つのかという優れたバットコントロールで、
動物という感じでした。そんなときのタツさんはとても抑えられなかった。
最後に一緒に並べてよかった。(CSもあるので)もう少し一緒にできる」
(中スポ、時事通信

◇荒木雅博
「1軍で出だしたころは外野が多かったので、
文字通り背中を見て育ちました。
調子が悪くても態度に表さないレギュラーの誇りを学ばせてもらった」
(中スポ)

◇森野将彦
「プロに入ったときからのお手本であり、目標でした。
まだとても追いついていないので、これからも目標にさせていだだきます」
(中スポ)

◇和田一浩
「一緒にいて、とても勉強になりました。寂しいですね」
(中スポ)

◇井上一樹
「お疲れさまでした。いいセレモニーでした。
今日は名古屋の街が悲しんでいるような雨。
個人的には身内以上の存在だったと言っても過言じゃないかもしれない。
オレも同じ時期に引退することになったけど、これも運命かな。
接する機会が少なくなる人よりは、今後も一緒にいることは
多いだろうから、今までお世話になりましたという気持ちと同時に、
これからは兄貴分として付き合わせてください、と思ってる。
いい兄貴分としていつまでも指導してほしい」
(中スポ、時事通信

◇平田良介
「バッティングを教えていただいた以外にも、
食事に連れてってもらい、いろいろな話を
聞かせていただいたのがいい経験になりました」
(中スポ)


【立浪に贈る言葉・その2】

◆中村順司
氏(名古屋商科大学監督)
<PL学園高時代に監督として立浪を指導した名将>
「ごくろうさまと言いたい。22年間すごいよね。
その間につくり上げた二塁打や安打の数もすごい。
私が高校時代にあこがれた長嶋さんや王さん
野村さんが載っているところに、
立浪和義の名前があるんだからすばらしい。
(適時二塁打で締めるなんて)野球の不思議だね。
僕にとっては高校時代の立浪に変わりはないが、
すごい選手になったんだな、と驚かされる。
(高校時代は)走攻守、三拍子そろっていた選手だった。
彼はかゆいとこまで手が届く。
一つ物事を頼んでも、相手のことを思って行動する。
(昨年の桑田氏、清原氏に続いて教え子が引退することになり)
寂しいですね。よく頑張った」
(中スポ、時事通信12

◆星野仙一 氏(阪神球団オーナー付シニアディレクター)
<立浪入団時の中日監督>
「高校3年の甲子園で、テレビ局のカメラが
追い切れないほどシャープな動きを見せる選手がいて、
はっとした。それが立浪だった。
中日はドラフトで投手の指名を考えていたが、
会議2日前くらいに立浪指名に切り替えた。
あの体でよくここまで頑張ったし、チームを引っ張ったと思う。
まだまだあのしぶといバッティングは捨てがたいし、
すぱっとユニホームを脱ぐのは勇気がいるもの。
近い将来いい指導者になって、野球界に戻ってくることを強く望んでいる」
サンスポ時事通信毎日jp

◆高木守道 氏(ドラゴンズOB会長)
<中日監督時代は立浪と同じグラウンドで戦った仲>
「立浪はあの小さい体でよくやった。
何事にも努力を怠らなかったから、ここまでやってこられた。
立浪を怒ったことは一度もなかった。
私も現役時代はそうだったが、彼は寡黙にプレーし、
背中で周りを引っ張るタイプ。
故障など困難なことはいろいろあったが、
すべて自分の力で乗り越えてきた」
(中スポ)


◆桑田真澄 氏(元・巨人)
<PL学園高の2年先輩、当時寮で同部屋>
「入ってきた時からプロ野球選手になるオーラを持っていた。
守ってあげたい。大事に育てたいと思った。
22年間プレーしたのは素晴らしい。
(プロ入り後は)そんなに大きな体ではないし、
肉体的にも精神的にも苦労があったと思う。
25年前に初めて会って、ずっと先輩・後輩、
よきライバルとして切磋琢磨してきた。
思い出に残る対戦はやはり「10.8」ですね。
(1994年に巨人の優勝が決まった10月8日)。
お互いチームの主力として戦い抜いた。
中距離打者で広角に打てて、大きいのもある
打ち取りにくいバッターでしたね。
これから一緒に野球界に恩返ししたい」
(中スポ、サンスポ時事通信毎日jp

◆清原和博 氏(元・オリックス)
<PL学園高で先輩>
「高校に入学してきて初めてスイングを見たときに
コイツはタダ者じゃないと思った。
この20年以上で、高校を卒業して
すぐレギュラーを取ったのはわたしと立浪だけだろう。
ここ何年間は体の痛み、そして常時試合に出られないという
心の痛みに耐えてよくやったと思う。
立浪という人間は人の痛みがわかる人間だ。
私が現役時代にけがをしたときは、
自分のことのように心配して電話をかけてくれた。
ベンチに座りながらもきっと、他の選手にも気配りをし、
今の強いドラゴンズがあるのだろう」
(中スポ、サンスポ時事通信

◆片岡篤史 氏(元・阪神)
<PL学園高の同級生>
「やっぱり引退は寂しいが、
輝いたまま引退するのは、彼らしい引き際だと思う。
彼の弱音は聞いたことがない。
22年間、ケガ以外でファームに行ってないのは、すごいこと。
思い出はひと言や二言では言えない。
僕らの中ではPLのキャプテンがやめるというか、
僕たちの野球人生が卒業するという形で見ていました」
(中スポ、時事通信スポニチ

◆橋本清 氏(元・巨人)
<PL学園高の同級生>
「小学校からずっと同級生で。一緒に自転車に乗って、
30分ぐらいかけて、練習場に通ったのが今のように思い出されます。
一緒に甲子園に出たのも思い出ですね。
ご苦労さまとは言いたくないというか、引退するのが不思議な感じですね」
(中スポ)

◆宮本慎也(東京ヤクルト)
<PL学園高の後輩>
「高校時代から目標にし、尊敬している人。
第一線でやってこられて、中日だけでなくプロ野球界の偉大な選手。
立浪さんらしく、まだできそうなのに
自分で線を引いて、男らしい。お疲れさまでした」
時事通信スポニチ

◆欠端光則 氏(横浜広報)
<88年、横浜大洋で開幕投手を務め、
高卒1年目の開幕戦に先発出場した立浪と対戦。
6回にプロ初安打となる右翼線の二塁打を許す。当時を振り返って>
「攻走守三拍子そろっていた。
体の小さい割にはしっかりバットを振って長打力もある。
あまり穴がない感じだった」
時事通信


◆落合英二
「僕が一番記憶に残っているのは、99年の優勝。
僕にとっても初めての優勝で、格別な思い入れがあるけど、
最後のアウトがセカンドフライ。
やっぱり、そういう選手のところに飛ぶんだと思った。
何かを持ってる。そういう選手でしたね」
(中スポ)

◆今中慎二
「僕がメッタ打ちにあった巨人とのオープン戦。
松井(秀喜・現ヤンキース)の痛烈なライナーに、
立浪さんが飛び込んで肩を痛めたんですよ。
肩を手術した時も朝一番で『頑張れよ』と電話をもらった。
“守ってもらっている”という意識が、僕には常にありましたね」
(中スポ)

◆種田仁
「同じ大阪出身でもあり、僕にとっては緊張する大先輩。
でも緊張をほぐしてくれたのも立浪さん。
ざっくばらんな人で、二遊間の守りの呼吸を教えてもらったり、
野球への姿勢を教えてもらった。
横浜移籍の時も、野村(弘樹)さんに『タネをよろしくな』と
電話してくれたみたいで…。本当に感謝しています」
(中スポ)

◆福留孝介(カブス)
<PL学園高の8年先輩の現役引退に感慨もひとしおの様子。
小学生の時にキャンプ地を訪問した際に
打撃用手袋をもらい、今も『宝物』にしているという>
「この世界を目指そうと思う、そのきっかけを作ってくれた人。
まだできるんじゃないかっていう思いもある」

<同じ鹿児島出身の先輩・井上も今季限りで引退。
生え抜きの元同僚が次々とユニホームを脱ぐことにと寂しげ>
「中日の一つの時代が終わったって感じかな」
中スポ


◆原監督(巨人)
<試合終了後、マウンド付近で巨人ナインに囲まれた
立浪の元にゆっくりと歩み寄ると、がっちり握手。
『ご苦労さま』と声を掛け、22年間の現役生活をたたえる>
「ルーキーの時からハツラツとしていて素晴らしい印象がある。
その印象で今までずっと来ている。
22年やった? そんなこと感じさせないね。新鮮で。
ジャイアンツにとっては非常に嫌な存在でした。
彼を抑えるのが勝利に近づく方法でした。
長い間第一線でプレーできるのはすごいこと。
同じプレーヤーとして、それがどれほど大変なのかはよく理解している。
これほど長く魅了するプレーができたことは、尊敬と敬意を表したい」
(中スポ、時事通信

◆篠塚打撃コーチ(巨人)
「自分が現役の時から家にちょくちょく来ていたよ。
息子(宜政君・青山学院大2年)が小学生ぐらいの時、
野球を教えてくれたりもした。
高校を出てすぐに出るのはなかなか少なかったが、
いきなり対応できていた。
守備も落ち着いていた、自信があったんだろうね。
代打としても年々良くなってきた。すごいことですね」
(中スポ)

◆吉村野手総合コーチ(巨人)
<PL学園高の先輩>
「PLの卒業生の中でも一番の数字を残しているんじゃないかな。
同じ高校の出身として誇りに思います。
あの体であれだけの数字を残したのは立派ですよ」
(中スポ)

◆小笠原道大(巨人)
「よく声をかけていただいたりして、お世話になりました。
野球人として尊敬しているし、いろいろ勉強させてもらいました。
そういうのはチームに関係なく受け継いでいかないといけないし、
若い選手にも伝えていきたいと思います」
(中スポ)

◆坂本勇人(巨人)
「同じ内野手として、高卒から出てて、
長嶋さんの安打も超えられてすごいなと思います。
PLの時は知らないですね。小さいころは野球中継も
見なかったので、野球ゲームでしか知らなかった。
でも今見ていて、凡打でもほとんどとらえた打球ばかり。
素晴らしいですね」
(中スポ)


◆立浪智子夫人
<立浪を支え続けた家族もセレモニーに駆けつけた。
長女・未沙稀さん、母・好子さんとそろって花束を贈呈。
22年間に及んだ現役生活の労をねぎらって>
「たくさんの方に愛していただいて感謝しています。
やめると聞いたときには『まだできるのに』という
思いもありましたが、腰やひざにも持病がありましたから。
本当にご苦労さまと言いたいです」
(中スポ、おおさか報知


【立浪和義(たつなみ・かずよし)略歴】
1969(昭和44)年8月19日生まれ、大阪府摂津市出身。
大阪・PL学園高では桑田真澄、清原和博(ともに元巨人など)の2年後輩で、
橋本清(元巨人)、片岡篤史(元阪神など)らと同期。
主将として1987年に史上4校目の甲子園春夏連覇を達成。
ドラフト1位で88年に中日に入団し、
1年目の開幕戦に「2番・遊撃」で先発出場。その年に新人王に輝き、
高校出のルーキーで初のゴールデングラブ賞も受賞。
97年にサイクル安打をマークし、
03年には史上30人目の通算2000安打を達成。
05年に二塁打の最多記録を更新した。
08年9月には史上7人目の通算2500試合出場。
球宴11回出場。二、三塁手でベストナインを1度ずつ、
ゴールデングラブ賞は遊撃手を含めた3ポジションで計5度受賞。
08年から打撃コーチ兼任。173センチ、70キロ、右投げ左打ち。
中スポ時事通信、年度別成績=時事通信

【立浪の主な通算記録】(順位は歴代)
▽2480安打=7位 ▽487二塁打=1位 
▽10030打席=7位 ▽1086四球=10位(09年9月30日現在)
毎日jp


今日の公示。(30日)

◆セ・リーグ

【出場選手登録】
△中日 川井雄太投手、伊藤準規投手
【出場選手登録抹消】
▼中日 朝倉健太投手、前田章宏捕手
(再登録は10月10日以降。公式サイト共同通信社


★プレーヤーズ・ボイス その2(30日)

●川井雄太

<約1カ月ぶりに1軍登録されたが、2イニング7安打4失点で降板。
初回にラミレスに2ランを浴びると、2回にも4連打を許して2失点>
「申し訳ありません…」
毎日jpニッカン

●伊藤準規
<2番手でルーキーがプロ入り初登板。
MAX149キロの速球を披露し、18歳が鮮烈にデビュー。
21歳も年上の名捕手の声に素直に従い、思い切り右腕を振った。
谷へのプロ第1球は147キロ。見逃しストライク。
最後は120キロのスライダーで空振り三振。
次の阿部には初球148キロ。2球目の149キロにバットは空を切った。
3球目のフォークで一ゴロに打ち取り、
一塁カバーに入った立浪からトスを受けると、
古城は死球で出したものの、オビスポを右飛に仕留め、
1イニング無安打無失点。15球は客席を沸かせ続けて>
「谷繁さんに思い切ってこいと言われていたので、
緊張したのですが、とにかく思い切り投げることだけを考えて投げました」

<まだ細い体に詰まった才能の一端を披露。
そのデビューが、立浪の引退記念試合という巡り合わせ。
ドラゴンズの未来を明るく照らすような快投。うれしそうに笑顔をみせて>
「幸せのひと言です」
中スポ

●トニ・ブランコ
<来日初の外野守備につく。
4番・右翼でスタメン出場し、5回からは左翼。
引退試合の立浪が一塁を守るための一時的な措置だったが、
慣れない守備位置のため、4回2死一、三塁で亀井の飛球を落球。
バットの方は記録ずくめで、107打点目でリーグトップの森野に並び、
2三振でシーズン154三振とし、
球団記録の153(07年・ウッズ)を上回った>
「アメリカではレフトを守ったこともありますよ」
(中スポ)


●落合監督
<レギュラーシーズンの主催試合の今季最終戦。
巨人に完敗したが、恒例のあいさつの中で、
観衆に向かって日本一への意欲を示す>
「えー、本日を持ちまして、えー、球団主催
今シーズンの72試合の終わりのゲームを迎えました。
当初私が思ってた、世界的な不況のあおりを受けて、
自分の中の許容範囲を超えるというか、
約230万人の方々が我々の野球の一投足を見つめてきて下さいました。
この場を借りて厚く感謝申し上げます。ありがとうございました。

えー、我々が求めていたペナントレース優勝、
そしてクライマックスを勝ち上がり、日本シリーズという
第一ハードルは越えることができませんでしたけれども、
えー、2009年度の野球はまだまだ続きます。
えー、2009年度のあいさつは、11月3日、
このナゴヤドームで日本シリーズの第3戦を迎え、
我々の戦う元気な姿をみなさんにお見せしたいと思います。
最後のあいさつは、一つ残されてる
日本シリーズのチャンピオンフラッグを我々の手で勝ち取り、
そのときにみなさま方に最後のあいさつをしたいと思います。
本日はありがとうございました」

公式サイト中スポサンスポおおさか報知毎日jpスポニチ名古屋




コメント

ミスタードラゴンズにふさわしい華やかな
パフォーマンスとセレモニーでしたね。

非常にベタな表現で申し訳ないのですが、
やはり「そういう星のもとに生まれた
スーパースターだな」と! もちろん、
その地位を築き上げた努力には多大な
敬意を払いますが、不世出の天才で
あることは間違いありません。

……そんなことを、試合中継とニュースの
画面を見つめながら、しみじみと思いました。

ツーベースで始まりツーベースで終わる。
立浪らしいエンディングでした。
でも、この後も代打で出るかも知れないので
勝手に終わらせてはいけませんね

それにしても、あれだけの天才バッターで
ありながら、清原と同じ無冠に終わったのは
残念でなりません。20代後半の時期に
もう少し野球に集中してほしかったです

それでも、22年間プレーを続けファンに
愛されてきた立浪に暖かい拍手を送り
たいです。
そして日シリで男の花道を自らバットで
飾ってもらいましょう

自分で書きながら泣き、
こちらを読ませてもらい、号泣モードです。
「おおさか報知」の記事とかはじめて読みました。
まだ終わってない!!!!
わかってはいるのですが・・・・。
私は、いつからドラゴンズを応援してるのか、
よくわかんないです。
野球さえも、よくわかんないのでしょう。
私にとって、プロ野球って、立浪くんだったし、
立浪くんが居る、ドラゴンズ、ってなってました。
私にとっての「ミスタープロ野球」は立浪くんです・・・・。
立浪くんが居ない、ドラゴンズも、野球界も、
まだホントに想像も出来ないで居ます。
わかっていたとはいえ、
涙があふれる、一瞬です。
でも、CSモードに切り替えて、応援します!
ステキな記事を、いつもありがとうございます。

引退の挨拶を読んでいて、目頭が熱くなってきました。
このまま終わらせてはいけませんよね。
正直、CSはどうでもいいと思っていましたが、

立浪や井上のためにも、日本一になって欲しい!
ナゴヤドームで彼ら胴上げが見たい!

と強く思うようになりました。

まだまだ終わってはいけません!!

最近は開幕シリーズと最終戦は見に行くので、今年も行ってきました。
立浪は改めて華のあるスゴイ選手だったなと思いながら見てきましたよ。
もう1,2年ならやれるんじゃないかと思えるだけに残念ですが、仕方ないですね。

CSも楽しみですが、第1ステージはどのチームが来ても苦手投手がいるので
ちと心配ではあります。

泣いて来ました
本当に辞めてしまうので寂しい限りです。

最後のセレモニーでタンス1号の体たらくを
忘れさせてくれる感動のセレモニー
行って良かったです
あと最初から最後までフラッシュが凄かったです。

みなさんコメントありがとうございます!
立浪選手の引退セレモニー、
昨夜ようやくYouTubeでその様子を見ることができました
外野スタンドから降り注いだ紙テープ、
そこを歩く立浪選手の姿がとても印象的でした


>ドライチさん
来春のオープン戦で引退試合を行うと目にしていたので、
単なるセレモニーだけかなと思っていましたが、
そうはならなかったのは、さすが立浪選手だなと。
改めてその存在感の大きさを感じるゲームとなりました

まさに不世出、この選手を超える選手は
今後もなかなか出てこないでしょう


>ギンタロウ。さん
立浪選手、この先の遠征にも参加するようですね。
あすのハマスタ、そして思い出の甲子園。
ぜひともツーベースを放って、数字を伸ばしてほしいです

立浪選手も無冠で終わるようですね。
二塁打王というタイトルでもあれば、
連続で取れたかもしれませんが

それにしても大きな舞台での勝負強さ。
花道がより長く続くよう、チームとして頑張ってほしいです!


>ontheway2uさん
「プロ野球=立浪選手」「立浪選手=ドラゴンズ」
ontheway2uさんのようなファンの方は
おそたくたくさんいることでしょう。
自分もそうですが、来季その姿がないドラゴンズを
見ることになるのですが、まだ想像つかないですね
まさに一時代を築いた選手だったと思います。

ただまだ終わったわけではありません。
最後の花道、さらに見守っていきましょう


>燕返しさん
直前になると、CSモードに入ってくるのですが、
どうも間延びしてしまっているこの頃ですが、
ユニホームを脱ぐ選手にとっては、最後の大仕事。
ぜひともチーム全体で花道を飾らせてあげたい。
このセレモニーを見てそう感じました


>コロンビーさん
生観戦おつかれさまでした
自分も毎年、神宮のドラゴンズ最終戦には参戦していますが、
まさにホーム最終戦ならではのセレモニー連発、うらやましい。
立浪選手、今年1年と決めていたようですね。
だからこその集中力、ほんと敬服します。

第1ステージまであと2週間、とにかく相手が早く決まってほしいです


>daiさん
生観戦乙カレーでした
中継でともに感動を味わおうと思っていたら、
まさかの放送打ち切りに、違う意味でショックでしたよ
フラッシュの雨に、感動のメッセージ。
あの場面に、自分もほんと立ち会いたかったです。

タンス1号、残念ながらCSの道けわしくなってしまいましたね
記事には全く触れていませんが、
伊藤準規投手の初登板、その勢いに感動しました

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